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未来を夢見た愛すべきポンコツなアップル製品

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iPhoneの原型の誕生と死

今更の昔のことを書く。すでに忘れ去られたデバイスの話。
でも、今では世の中を変える開発であるiPhoneの源流になったデバイス、Newton MessagePad(ニュートンメッセージパット)の話。
2007年iPod touchが発売される遥か10年以上も前の1993年に、AppleはiPhoneのプロトタイプを作っていたように思う。
Apple自体は、Newton(ニュートン)との繋がりを否定しているが、最初に2007年、発表された「iPhone」と、メディアプレイヤー「iPod touch」を見たときに、Newton(ニュートン)に触れた時の高揚感を感じた。

10年という年月の区切りは、デジタルの世界では、大昔である。
1993年がどういう時代だったかといえば、1990年代前半にようやく、インターネットが広まり始め、1997年にGoogle検索の英語版が、登場したというような時期である。
Google検索が、登場する前の話だ。

愛すべきポンコツデバイス

昔、Appleは、Newton(ニュートン)っていうOSを開発していた。
1993年より、発売され一部の熱狂的なファンを擁したAppleのNewton(ニュートン)は、1998年に開発の幕を閉じた。

私はNewton(ニュートン)を説明する時に、馬鹿でかくて、モノクロ液晶の、電話がついていないiPhoneみたいなやつ。と、説明する。
AppleのNewton(ニュートン)と、iPhoneとは、使用感がよく似ている。
その当時のAppleの製品は、コンセプトばかりが先に立ち、技術が追いついていないという状態。

コンセプト先行型のその製品、Newton(ニュートン) MessagePad(ニュートンメッセージパット)は、のちにメジャーとなった、PDA:ピーディーエー(personal digital assistant:パーソナルデジタルアシスタント)という言葉を初めて使ったデジタルデバイスになった。
開発者のみならず、ユーザーまでもが、Newton(ニュートン)が生まれたコンセプトに未来を夢見ることができる憧れのデバイスだ。

1995年のデジタルが憧れだった時代

一旦、1995年の世界のデジタルに対する熱狂を見てみる。
例えば、その時代では、未来、夢、憧れ、世界との繋がり。
今の時代にそれらのワードを使えば、その言葉の空虚さに苦笑いでしかない。
しかし、当時は、ウィンドウズ95が世界的なヒット商品となった時代だ。家電製品売り場に長蛇の列。前日から並んで購入する人もいたという状態。
インターネットという言葉と、地球全体の世界と繋がることができる!という世界の広がり・可能性。ホームページを作れば、地球の裏側の人が、その情報をみるんだよ!と、そんな浮ついた話が交わされる時代。
メーカーが、熱に浮かされ浮ついたたことを言わずとも、ユーザーは、勝手に浮かれていた。

ハリウッドでも、革命を起こすほどの映像の革新が行われ、可能性を見せていた。
水銀のような液体人間をCGで作り出したターミネーター2が1991年に公開され、
生きた恐竜をシュミレートしてみせたジュラシックパークが1993年に公開された。
Appleは、QuickTimeというムービーを扱うテクノロジーを発表していたし、クロマキー合成・モーフィングなど、さまざまな特殊撮影の編集を行うアプリケーションが発表されていた。そして、macを購入すると、そういったデモのCDが付属していて、自分にも何かができる環境がそこにある!と、目がくらむ思いがした。

派手なCGは、我々の熱を加速させる。
あたかも、コンピュータは万能の世界を作り出すマシンであるかのように錯覚をした。
ただ、ただ、錯覚をしたユーザーは、コンピュータが作り出す未来を信じてとても熱かった。
そんな時代。

持ち歩くappleデバイスがコミュニケーションを加速させた

中でもAppleコンピュータのファンは、強くつながる性質を持っていた。

おそらく、その当時の、Macintoshユーザーは、そのユーザー同士の関係性を含めて、Appleを愛していた。
そして、より愛されていたMacintoshのpowerbookと呼ばれていたノートパソコンは、改造しても、およそ、Macintoshの得意分野のグラフィックに使うには、圧倒的にスペックが足りない。
振り返ってみれば、高価なポンコツマシンだった。(笑)

しかし、そのポンコツは、どのマシンよりも愛されていたように思う。
少しでも使えるように、改造し、当時、ウィンドウズマシンばかりの周辺機器市場で、動作保証もないパーツや、改造用の部品を買いあさり、使えた、使えないの報告が、パソコン通信の会議室と言われるコミュニティの中で頻繁にやりとりされていた。
わずかしか変わらないロジックボードのクロックアップを行い、果ては、powerBookをスケルトンにするためにFRPで形成した外装を共同購入を行うことに、満足を得ていた。

当の私も、いちばんお気に入りのマシンはpowerbookDUOというマシンで、ドックという拡張パーツを使わなければ、基本的な外部周辺機器に一切繋げられないというようなマシンだった。
また、コンセントを繋げなければ、限界駆動時間は3時間に満たない程。
しかし、それでも、そんな新品のポンコツを、子供のように抱いて眠り、当時の彼女から「気持ち悪い!」と露骨に嫌悪感を伝えられる程だった。
未だに、どこかで中古で安く販売されているのをこの目で見たら、多分買ってしまうだろう…。

そんなユーザーが、日本の中には少なからず存在した。
そして、みんながAppleというデバイスへの参加者だった。
そういったユーザーによってAppleは支えられていた。

再びNewton(ニュートン)の話、Dynabook(ダイナブック)構想。

ダイナブックと聞けば、東芝という日本人は多い。
しかし、ここでいうその構想は、全くそれとは違うものだ。

Dynabook構想とは、1972年という遥か昔にアラン・ケイが提唱した理想のパーソナルコンピュータ(パソコン)構想。
ケイの構想したダイナブックとは、GUI(グラフィックユーザーインターフェイス)を搭載したA4サイズ程度の片手で持てるような小型のコンピュータで、子供に与えても問題ない低価格なもの。
同時に、文字のほか映像、音声も扱うことができ、それを用いる人間の思考能力を高める存在であると定義していた。
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▲上記イラストは、アランケイのプレゼンで使用されたイラスト。

当時、NewtonOSと、アランケイが提唱したダイナブック構想を重ねて語るものが多かった。
Newton(ニュートン)ユーザーであれば、アランケイの名前は必ず一度は耳にしたことがあるだろう。
Newton(ニュートン)は、ペンを使ったデバイスで、アランケイがプレゼンで描いた少年・少女が抱えていたデバイスに非常に似ていた。

手書き認識を備え、記憶媒体がHDD(ハードディスクドライブ)でなくメモリーカードなどであったため、多少の荒っぽい扱いにも耐えられ、簡単なnotePadでは、手書きメモがとれた。
通信機能もモデムを介し行い、ファックス・メールの送受信
スケジュール管理もできるという。

ただし、動作、挙動は不安定な認識で、今であればとてもではないが、クレームの嵐となるはず。
使い物にならない、その、Newton(ニュートン)の価格は、なんと、25万ほど。
もう、笑うしかないデバイスの高価なポンコツっぷり
ただ、そこにはそれを必死でサポートしようとするユーザーの姿があった。

日本でのNewton Message Pad

PDAという言葉を知っている人は、その当時、ブームになった。シャープ株式会社のザウルス (Zaurus) の方が馴染みがあるかもしれない。
また、SONYが開発していたPalm OSを搭載するPDA。CLIE/CLIÉ(クリエ)も、あった。
当時は、PDAが流行っていて、ある意味手帳→電子手帳としての認識でみなが使っていたように思う。

いわば、昔のバカでかいモノクロiphoneのようなNewtonMessagePad(ニュートンメッセージパット)。
その当時は、それに未来を感じていた。
はるか遠いカリフォルニアで作られたデジタルの未来を予測させるコンセプトや、繊細なエンターテイメント性を持つそのデバイスに惚れ込んだユーザの熱量は凄かった。
当時は、インターネットは、始まったばかりで、あまり普及しておらず、ニフティサーブの会議室というユーザーグループが存在し、その中でのコミュニティでの交流が盛んに行われていた。

Newton(ニュートン)自体、モノクロの液晶で、ペンを使って、入力するのだが、全然日本語は通らなくって、
それでもファンが日本語化するためのappletを作っていた。

例えば、iPhoneで高速入力するためには、日本語入力のフリック入力は、必須な仕組みだと言える。
実は、その日本語入力に関してもNewton(ニュートン)が発祥なのである。
原案は、Newton(ニュートン)のユーザーグループで橋本 佳幸さん(当時はYosさんというハンドルネームで活動されていた。)が作られたHANABIという入力方法だというのは、Newton(ニュートン)ユーザーであれば周知の事実である。
彼は、現在も、Newton(ニュートン)Japan株式会社(アップルとは無関係ではあるが、Newton(ニュートン)愛が高じて社名にしてしまったらしい)の代表として活動されている。
PDAという言葉も、最近ではほとんど聞かなくなったが、PDAや、iPhoneの源流を作ったのは、愛すべきポンコツであったNewton(ニュートン)のコンセプトや、熱いユーザーグループであった。

そして、日本語さえ通らないようなデバイスとOSに、皆がサポートしながら文句を言うことなく愛着を持ってユーザーをやっていたという。
そんなユーザーのコミュニティが昔のアップルにはあった。

企業の足りないところを、ユーザーが補って行く、開発を行なって行くという活動が、Appleを支えていたという歴史を覚えている人はどれだけいるのだろう?
エバンジェリストって言葉、聞いたことがある?
今で言えば広報と言えるんだけど、その言葉で表現できない思いがその言葉には含まれている。

 

そう、昔のAppleのマシンには、どうもこうも使い物にならないデバイスが多かった。
特に日本語の2バイト文字は、ラテン文字の1バイト文字よりも扱いが難しく、その点で、実用的でないもの、特にノート(PowerBook)でグラフィック作業なんて出来なかった。

 

それでも、我々は、そのコミュニティを含めてそのデバイスが好きで、Newton(ニュートン)、PowerBookなど、恐ろしく高価な愛すべきポンコツを抱いて眠る。(笑)旅行の時にも、実家に帰る時にも、ずっと汗だくになっても抱えて歩いているべきもの。遠く、九州から関東、関西へAppleユーザーと交流するためだけに出かけていくようなもの。

そんな愛すべきモノであった。

 

性能や便利さだけではない。
共に夢を育むという行為を共有できる、愛すべきポンコツを生み出してくれる企業は、もう、生まれてこないだろうなぁと、ふと思うのである。

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